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お別れ会の内容について Vol.2 [ヒナ姫のこと]

ユー・サーは今日まで幼稚園で通園バスを見送った後,,,午前中に10年間お世話になった病院にご挨拶に.
そこで,,,「ヒナちゅわん,貴女やっぱりすごいね」ということが3つもありました[手(チョキ)]
そして,夕方には,,,約9年間の在宅生活を支えてくれた訪問看護ステーションにご挨拶に.
これらについては明日のブログにて[ペン]


昨日の続きです.
お別れ会の決め事について,他のことを.

⑤遺影写真
十歳祝記念を写真屋さんで撮影して本当に良かったです.
迷うことなくその時の写真にしました.
ただし,,,通常の遺影は縦だと思いますが,いつも寝ていたヒナちゅわんを縦で見るのは非常に違和感があります.
ということで葬儀屋さんに相談したところ,横向きの遺影でもOKということでした.

⑥祭壇用の供花
式場でやるとなるとある程度の数が必要ですが,家でやったのであまりに多すぎると溢れてしまいます.
そのため,,,MaMaPaPaの実家に出してもらうのと,PaPaの会社,そして,,,「妹一同」で出しました.
そして,,,それに加えて皆様からたくさんのお花を頂いたおかげで,物凄くよい花のかほりのヒナ邸からヒナを旅立たせてあげられることができました.
本当にありがとうございました.

⑦会葬礼状
通常頂くような決まった文面ではなく,オリジナルなものが作れるということで利用しました.
業者さんと電話で5分程度,ヒナ姫の想い出を話して,そして文面のドラフト版を作ってくれました.
そして,それに加筆・修正して完成となります.
とても良い会葬礼状となり,MaMaPaPaともに満足です.
なお,会葬礼状をお渡しできなかった方もいますので,こちらに記録しておこうと思います.

「これまでもこれからも雛姫は私たちの宝物です」
雛姫が生れた時のことを,今でもよく覚えています.今日か,それとも明日か・・・ようやく手にした愛しい我が子との別れを,私たちは親になった瞬間から覚悟しなければなりませんでした.正直,当時は,どうしてこんな思いをしなければならないのだろうと現実を嘆きました.そんな中,私たちに前を向く力を与えてくれたのは,他でもない雛姫でした.
明日にはどうなるか分からなかったその命を十年間繋ぎ続け,三人の妹のお姉ちゃんとなり,妹たちの心に思い出という名の雛姫の生きた証を残してくれました.周りの子と同じように喋ったり笑ったり,走り回ったりすることはできませんでしたが,雛姫はいつも私たち家族の中心にいて,皆の絆を固く結んでくれましいた.雛姫がいるからこそ,その生活を充分に楽しませてもらいました.「ありがとう」の思いで,もう一度雛姫を抱きしめます.
長女 雛姫は平成二十八年十二月十六日,輝く星となりました.十歳まで,本当によく頑張ってくれました.雛姫が今日まで生きることができたのも,私たちの今があるのも,支えて下さった方々のおかげです.
お世話になった病院の皆様や,同じ境遇において寄り添い,様々な気持ちを分かち合い,そして励まして下さった皆様など,良きご縁を結んで下さった全ての方へ,深く感謝申し上げます.本日はご参列頂き,誠にありがとうございました.略儀ながら書状をもってお礼申し上げます.

平成二十八年十二月十九日


そして,,,ヒナのお別れ会,唯一の心残りです.
⑧香典返し
香典返しを用意するタイミングが遅かったということ...
お別れ会1日目(通常で言えば通夜)の昼頃に到着しました.

通常の葬儀であれば,多くの方が通夜の時間帯にお越し頂くことになるためにお渡しできます.
が,時間フリーのお別れ会にしたために,香典返しの到着前(16日~18日午前)に凄くたくさんの方にお越し頂いたため,その方々にはその場でお渡しできませんでした...
⑦の会葬礼状をお渡ししたかったのですができず,悔いがあります(そのため,ブログで書くことにしました).
会葬礼状自体が完成したのは18日の朝なので仕方がないといえばそうなんですが.
あともう1つ.
当初用意していた香典返しの数が足りませんでした...
雛姫の力を見くびっていました...
本当に多くの方に見送って頂き,幸せな子でした.


ヒナ姫のお別れ会の準備中は精神的にもおかしかったので,記憶にちゃんと残るような気がしませんでした.
そのため,こうやって記録をしておきたかったので満足しました[わーい(嬉しい顔)]

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